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#16「第七師団(北鎮部隊)に纏わる都市伝説」

 

今回のテーマ旭川の都市伝説」をご紹介します。

最強部隊 第七師団

ゴールデンカムイ人気で知った方も多いかと思います。

第七師団は帝国陸軍の師団であり、他に常設されていた部隊とは異なり、北海道の開拓と防衛を任せられていた「屯田兵」を主体として構成されていた。

部隊の通称号(暗号名:コードネーム)は、「熊」。

第七師団は北の守りの要として地元民からは畏敬の念を込められ「北鎮部隊」と呼ばれていた。

数々の激戦区においての第七師団の戦果は、多くの人に知られているところだが、意外にも第七師団所属の歩兵第28連隊は、日本史上最悪の熊害といわれる「三毛別羆事件」の討伐隊としても派遣されている。

 

羆嵐 (新潮文庫)

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  • 作者:昭, 吉村
  • 発売日: 1982/11/29
  • メディア: 文庫
 

 

そんな軍都、旭川では今でも語り継がれている都市伝説がある・・・次にお話するのはそんな第七師団歩兵第28連隊に纏わるお話です。

 

姿なき凱旋

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引用「とあるAirsoftな人の覚書第8章:Memories of a Unknown Airsoft Gamer VI」https://uag.militaryblog.jp/e595862.html

※画像はイメージです。

 

日露戦争以降、第七師団は激戦地へと派遣されることが多くなる。

アメリカとの陸戦としては初の敗北を喫した「ガダルカナル島の戦い」へ、一木連隊長率いる一木支隊、歩兵第28連隊も派遣され1942年8月21日、アメリカ軍の執拗な包囲射撃によって殲滅された。

その日の夜、第七師団歩兵第28連隊兵舎のある軍施設では奇妙ことが起こったと言われている。

門番をしていた兵士が遠くから行軍してくる足音に気づき、28連隊の兵士達が帰還したと思った。

仲間を集め皆で出迎えようとしたがいくら待っても姿が見えない。

その足音は歩兵第28連隊兵舎までくると消えたという。

伝説の精鋭部隊であった「一木支隊」。

敗北しても尚、魂だけは帰還しようという誇り高き凱旋だったのかもしれない・・・

 

旭川偕行社

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そんな第七師団兵舎跡地には未だその当時使われていた建造物が残されている。

現在は、彫刻美術館として利用されており、以前は郷土博物館として利用されていた。

旭川偕行社(かいこうしゃ)と呼ばれたこの建物は、第七師団の将校達の社交場として使われていた。

木造の大きな建物は、優れた洋風建築として国の重要文化財にも指定されている。

1949年に国から市へ移管された後は、学校や庁舎の仮施設として利用されていたがその後は利用されず荒廃が進み「お化け屋敷」と呼ばれるようになった。

そんなイメージからなのかはわからないが、郷土博物館時代に展示されていた人体模型が夜な夜な動くだとか、雨も降っていないのに雨具を着た兵士が行軍する姿を見かけたと言う噂話があるんだとか・・・

 

 

招魂祭の涙雨

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 「招魂祭」とは現在でいう「護国神社祭」のことで戦争で亡くなった軍人を祀っている神社を「招魂社」と呼んでいたことから招魂社のお祭りを招魂祭と言った。

旭川護国神社も数多くの第七師団や屯田兵の方々が祀られています。

そんな、「招魂祭」ですがこれもまた不思議な現象が起こると言われています。

招魂祭の開催時期は、毎年6月上旬。「前夜祭」「本祭り」「後夜祭」と3日間開催されます。

この招魂祭の期間中に必ず雨が降るというのです。

過去のデータを調べた方がいますがどんなに晴れていても、にわか雨、通り雨、スコール的な雨が降っているそうです。

地元の方々は、これを「涙雨」と呼び、戦没者の無念の思いが涙となって雨を降らせていると言われています。

 

 

最後に

いかがでしたでしょうか?

最強と言われた第七師団に纏わる都市伝説でした。

ただ・・・第七師団があった場所近くに位置する陸上自衛隊第二師団、旭川駐屯地に配属されていた自衛隊OBの方々とお話できる機会があり、第七師団に纏わる都市伝説について聞くこができたのですが、皆、口を揃えて直接、若しくは間接的にその存在を感じたことがあるという。

 

信じるか信じないかはあなた次第です☝」