#17 TEAM NACS「PLAMUSHIR〜信じ続けた士魂の旗を掲げて〜」から辿る北海道の歴史
前回のテーマは第七師団について書きました。
今回は、帝国陸軍の戦車隊第11大隊のお話で2018年にTEAM NACSさんが全国ツアーを開催した演劇、「PALAMUSHIR〜信じ続けた士魂の旗を掲げて〜」をリレーしていきます。
TEAM NACSさん、北海道民なら誰もが愛してやまない存在です。
地元テレビでの暴れっぷりといったらw
今では、「日本一、チケットを取れない劇団」とさえ言われています。
そんなTEAM NACSさんの「PALAMUSHIR~信じ続けた士魂の旗を掲げて~」
舞台は日本がポツダム宣言を受諾し停戦中の8月18日~21日の間にソ連の奇襲攻撃によって武装解除中だった日本軍との間で起こった戦闘、「占守島の戦い」のお話です。
PALAMUSHIR
皆さん、何て読むかわかりますか?
Js0nは、最初「パラムシャー」と読んでいましたw
この島の読み方は複数あるようで「パラムシル」「ポロムシル」「ホロムシロ」等と呼ぶそうです。
ロシアではパラムシルと呼ばれ、日本では漢字で「幌筵」と書くことから複数の呼ばれ方が存在するのでしょうね。
しかし、元を辿るとアイヌ語の「パラ(広い)・モシル(島)」「ポロ(大きい)・モシル(島)」などが由来とされていてこのこの千島列島にも「アイヌ」という存在がいたことがこの地域の地名にも影響しているのでしょう。
ここではパラムシルと幌筵の間をとって以下「ポロモシル」と呼びます✋
ポロモシルは千島列島にある島でカムチャッカ半島から2番目に近い、千島列島の中では大きな島です。先ほどの「ポロモシル(大きい島)」という地名も頷けると思います。
ポロモシル島の上、カムチャッカ半島に一番近い占守(しゅむしゅ)島。この島から物語は始まります。
占守島の戦い
アメリカとの戦闘に備えポロモシル島と占守島を要塞化していた日本軍にとってポツダム宣言受諾の「玉音放送」は正に、晴天の霹靂だったでしょう。
そんな中、ソ連軍が「日ソ中立条約」を一方的に破棄し対日参戦し占守島へと侵攻を開始した。
ソ連軍はこの進行で北海道本土までも手中に収めようとしていた。
3日間の戦闘は、日本軍優勢で推移したが軍命により日本軍が降伏し停戦、多くの日本兵がシベリアへ拘留されました。
士魂部隊
TEAM NACSが演じる「士魂部隊」
「士魂部隊」とは、当時、満州から転進した精鋭部隊「戦車第11連隊」のことで
「11」を漢数字にすると十と_で「士」と呼んだのが由来。この占守島の戦いで圧倒的劣勢の中、日本軍以上にソ連軍に損害を与えた勇姿を継承すべく現在でも恵庭に駐屯する「第11戦車隊」が「士魂マーク」を継承しています。
士魂部隊の戦果
引用「特大発動艇+戦車第11連隊 - 艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*」
武装解除の命を受け撤退準備中の状況ではあった士魂部隊にとって、もうすぐ戦争が終わり、祖国に戻れるという期待の中でのこの戦闘は何とも言えない複雑な心情があったことが容易に想像できます。
軍命により、戦闘も「自衛の為の戦闘」のみに限定されていたが、その期限も18日午後4時まで。
18日午後2時・・・これを待っていたかのようなソ連軍の奇襲・・・
だが、士魂部隊にとってこの戦いには「大義名分」があった。
ポロモシル島には、缶詰工場などで働く多くの女工員や民間人がいた。
「もし、このまま降伏したら?」
女工員や民間人たちの行く末を案じ、そして北海道本土にいる家族たちを守る為、身を挺して武装解除という軍命に抗い、ソ連軍に抵抗したのです。
士魂部隊が徹底抗戦している間に女工員や民間人たちを北海道本土へと26隻の船で移送し、1隻を除いた25隻を帰還させました。(一隻は難破しソ連軍に収容)
停戦
3日間の戦闘は、停戦交渉が難航し21日、軍命により日本軍が降伏し停戦が成立した。
占守島の戦いで
◎ソ連軍側の推定値
・日本軍の死者 1000名
・ソ連軍の死者 1567名
◎日本軍側の推定値
・日本軍の死者 600名
・ソ連軍の死者 3000名
と両軍の数値に乖離はあるが、劣勢の中、日本軍がソ連軍に与えた損害がいかに大きいかがわかる。
ソ連人民にとって8月19日は「悲しみの日」と言われ、ソ連の司令官は後に、「甚大な犠牲に見合わない、全く無駄な作戦だった。」と回願録を残したとされているが定かではない。
最後に
引用「占守島に打ち捨てられた残骸=2017年7月(第11戦車隊士魂協力会提供) | 千島列島, 歴史教育, 米軍」
ポツダム宣言受諾から終戦準備中の空白の期間に起こった「占守島の戦い」。
教科書にも載っていない忘れられた戦いを一体、どれだけの人が知っていたでしょうか?
また占守島の戦いだけではなく、ソ連軍による南樺太への侵攻で4000人もの民間人が犠牲になっており、「女性たちの集団自決」という痛ましい出来事があったと言われています。
この実話を「演劇」として演じたTEAM NACSさん。DVD(特典付き版)ではこの悲惨な実話を演じることに対しての戸惑いや葛藤が収録されています。
NACSの皆さんにとっては、新しい挑戦だったのではないでしょうか?
普段は、コミカルで面白いイメージが強いですがこの演劇ではそのイメージを裏切るとてもシリアスな迫真の演技を観ることができます。
この戦争はノンフィクションですが
「限りなくノンフィクションに近い
フィクション」に仕上がっています。
※2022年3月22日追記
現在、ロシアによるクリミア侵攻が世界的な問題になっています。
現在クリミアで起きていることは、この第2次世界大戦時代の「PALAMUSHIR」で起きたことと全く変わらないことが起きているのです。
決して対岸の火事ではないことをこの「PALAMUSHIR」を通して多くの人が
今起きていること
これからの日本のこと
これからの世界のこと
これからのあるべき未来のこと
人間のあるべき姿を
真剣に考えるきっかけになればと願って止みません。
#16「第七師団(北鎮部隊)に纏わる都市伝説」
今回のテーマ「旭川の都市伝説」をご紹介します。
最強部隊 第七師団
ゴールデンカムイ人気で知った方も多いかと思います。
第七師団は帝国陸軍の師団であり、他に常設されていた部隊とは異なり、北海道の開拓と防衛を任せられていた「屯田兵」を主体として構成されていた。
部隊の通称号(暗号名:コードネーム)は、「熊」。
第七師団は北の守りの要として地元民からは畏敬の念を込められ「北鎮部隊」と呼ばれていた。
数々の激戦区においての第七師団の戦果は、多くの人に知られているところだが、意外にも第七師団所属の歩兵第28連隊は、日本史上最悪の熊害といわれる「三毛別羆事件」の討伐隊としても派遣されている。
そんな軍都、旭川では今でも語り継がれている都市伝説がある・・・次にお話するのはそんな第七師団歩兵第28連隊に纏わるお話です。
姿なき凱旋
引用「とあるAirsoftな人の覚書第8章:Memories of a Unknown Airsoft Gamer VI」https://uag.militaryblog.jp/e595862.html
※画像はイメージです。
日露戦争以降、第七師団は激戦地へと派遣されることが多くなる。
アメリカとの陸戦としては初の敗北を喫した「ガダルカナル島の戦い」へ、一木連隊長率いる一木支隊、歩兵第28連隊も派遣され1942年8月21日、アメリカ軍の執拗な包囲射撃によって殲滅された。
その日の夜、第七師団歩兵第28連隊兵舎のある軍施設では奇妙ことが起こったと言われている。
門番をしていた兵士が遠くから行軍してくる足音に気づき、28連隊の兵士達が帰還したと思った。
仲間を集め皆で出迎えようとしたがいくら待っても姿が見えない。
その足音は歩兵第28連隊兵舎までくると消えたという。
伝説の精鋭部隊であった「一木支隊」。
敗北しても尚、魂だけは帰還しようという誇り高き凱旋だったのかもしれない・・・
旧旭川偕行社
そんな第七師団兵舎跡地には未だその当時使われていた建造物が残されている。
現在は、彫刻美術館として利用されており、以前は郷土博物館として利用されていた。
旭川偕行社(かいこうしゃ)と呼ばれたこの建物は、第七師団の将校達の社交場として使われていた。
木造の大きな建物は、優れた洋風建築として国の重要文化財にも指定されている。
1949年に国から市へ移管された後は、学校や庁舎の仮施設として利用されていたがその後は利用されず荒廃が進み「お化け屋敷」と呼ばれるようになった。
そんなイメージからなのかはわからないが、郷土博物館時代に展示されていた人体模型が夜な夜な動くだとか、雨も降っていないのに雨具を着た兵士が行軍する姿を見かけたと言う噂話があるんだとか・・・
招魂祭の涙雨
「招魂祭」とは現在でいう「護国神社祭」のことで戦争で亡くなった軍人を祀っている神社を「招魂社」と呼んでいたことから招魂社のお祭りを招魂祭と言った。
旭川護国神社も数多くの第七師団や屯田兵の方々が祀られています。
そんな、「招魂祭」ですがこれもまた不思議な現象が起こると言われています。
招魂祭の開催時期は、毎年6月上旬。「前夜祭」「本祭り」「後夜祭」と3日間開催されます。
この招魂祭の期間中に必ず雨が降るというのです。
過去のデータを調べた方がいますがどんなに晴れていても、にわか雨、通り雨、スコール的な雨が降っているそうです。
地元の方々は、これを「涙雨」と呼び、戦没者の無念の思いが涙となって雨を降らせていると言われています。
最後に
いかがでしたでしょうか?
最強と言われた第七師団に纏わる都市伝説でした。
ただ・・・第七師団があった場所近くに位置する陸上自衛隊第二師団、旭川駐屯地に配属されていた自衛隊OBの方々とお話できる機会があり、第七師団に纏わる都市伝説について聞くこができたのですが、皆、口を揃えて直接、若しくは間接的にその存在を感じたことがあるという。
「信じるか信じないかはあなた次第です☝」
#15「羆の楽園~天塩岳~」
今回は日本最北の200名山
「天塩岳」の魅力をお届けいたします。
~MENU~
天塩岳について
天塩川の源流に位置する天塩岳は標高1,558mと道北最高峰(利尻山除く)の山。
前天塩岳・天塩岳・西天塩岳・丸山で形成される山脈で眺望が良い日は利尻山まで見ることができるらしい。
登山口は滝上側、士別側の2箇所あるが滝上側は利用者が少ないので。
士別側がメインルートとなる。
ここでは士別側の登山口に限定してコースを紹介していきます✋
登山口には2階建てのヒュッテがあり一階と二階はそれぞれ独立した入口があり無料で利用できます。
とても綺麗に管理されており前乗りする時には快適に利用できるでしょう。
出発時はヒュッテにて入山届を記入します。
炊事場とトイレも近くにあり駐車場もとても広いので満車になる心配はほぼ無いと思います。
ただ8月上旬には天塩岳速登競争というトレイルランの大会が開催されているため、大会の時は満車になる可能性があるかもしれないので8月上旬に登山予定の方は、開催日程を確認することをオススメします。
天塩岳は前天塩岳コース・新道コース・旧道コースと別れてますが現在は旧道コースは通行できなくなっている様子で、前天塩岳コースと新道コースの2コースを周遊コースとして楽しむこともできるバリエーションルートとなっている。
コースマップ・コースタイムはこちら👇
羆が多い山としても有名で数年前にヒュッテまでの道路が崩落したため通行止めとなり登山ができなくなった時期があった為、余計に羆が活動しやすい環境となった。
前天塩岳~新道周遊コース
コースイメージはこちら👇
js0nが登った日は、平日のガッスガスの日だったので登山者ほぼゼロ👌
・平日の登山者のいないガッスガスの日に
・熊の多い天塩岳を
・一人で登る
のはもはやメンタルトレーニングでしかないことに下山してから気づきましたw
正に、「山の肝試し」w マジ怖かったっす(^-^;
コースについてですが、ヒュッテを出発し、しばらくなだらかな登山道を歩き途中、トランポリンの様にボヨンボヨンしなる架け橋で二度ほど沢を渡りながら進むと連絡路分岐が現れます。
ここを右に進むと新道コース、左に進むと旧道分岐です。
連絡分岐から程なくして旧道分岐に着きます。
右の旧道コースは通行止めになっている様子。左へ進むと前天塩岳コースとなる。
さて、ここからが前天塩岳へのスタートなのですが出鼻を挫くようにいきなり
「ラスボス」が現れます。
展望のない樹林帯を約2時間弱ひたすら登り続けなければならないのです。
しかも結構な急坂っす・・・(-_-;)
前天塩岳8~9合目辺りまでくると森林限界を超え突然展望が開け足元もガレ場へと変化します。
9合目付近に前天塩岳山頂をショートカットする巻き道がありますが山頂からは稜線歩きが楽しめるので天気の良い日は是非、前天塩岳山頂経由をチョイスしましょう☝
「ガッスガスの前天塩岳山頂」
2時間弱頑張ったご褒美のように前天塩岳からの稜線歩きは気持ちが良い・・・と思いますがjs0nは強風、ガッスガスの中、黙々と進み続けました。
前天塩岳からはハイマツを軽く漕ぎながら一旦、下って天塩岳までの登り返しになります。
天塩岳山頂の手前あたりでトラバース気味に登る斜面があるのですが羆の糞が登山道に落ちていました。聞いた話では、この辺りによく出没する羆がいるとのことです☝
「ガッスガス&薄っす薄の山頂標識&ビール」震えながら飲みましたw
天塩岳山頂からは新道コースと重複するので割愛します。
新道ピストンコース
コースイメージはこちら👇
Js0nは基本一人で登山をするとガスります✋
そして嫁と一緒に登山をすると基本晴れます。
なのでリベンジで嫁(晴れの神様)を連れて天塩岳新道ピストンコースへ行くことに。
前回は、ガッスガスだったため登らなかった「西天塩岳」、ピークハンターのJs0nとしては、このままでは納得いかない部分もあったのでリベンジを兼ねてのアタックです。
早朝こそ怪しい天候だったものの登り始めると快晴♪ 登山者も多く熊の心配もなさ気かな・・・と思っていたのですが、羆の糞だらけ(^-^;
中には産みたてホヤホヤの湯気が立っている超巨大な糞もありました。
👆「羆の糞。この倍くらいの大きさの糞もありました」
新道コースは連絡分岐~新道分岐までの間が若干、急坂ですがそれ以降は天塩岳山頂手前まではなだらかで歩きやすいコースが続きます。
途中、小高い丘のような場所があり、コースから少し外れる感じの場所に山頂標識?がある「丸山」があります。
その後、しばらく進むと避難小屋に到着。
三角形の小さな避難小屋、避難小屋の隣にあるトイレも毎日、掃除してるんですか?というくらいとても綺麗でした。
その後も、比較的緩やかな登山道を進んでいきます。
天塩岳山頂は、ずっと肉眼で見えていて結構、遠く辛そうな感じに見えるのですが、視覚的イメージよりは楽に登れると思います。
「避難小屋からの天塩岳山頂」
天塩岳山頂は、周囲の山深さと遠くに見える大雪山系の山々のバランスが印象に残る素晴らしい山です。
辛口評論家の嫁が珍しく絶賛していたので間違いないでしょう☝w
「 調子にのってもう一本✋」
ナッキーに出逢える西天塩岳
新道コースでも触れた避難小屋から西天塩岳へ登れるコースがあります。
西天塩岳はガレた山なのでいたるところでナッキー(ナキウサギ)の鳴き声が聞こえます。
Js0nは鳴き声は聞くものの、一度も姿を見たことがなかったのですがこの山行で初めて見ることができ、しかもボケ気味の写真まで撮ることができました!w
めっちゃ、愛らしくて可愛いんです♡
ナッキーを見たい方はかなりおススメのスポットですよ☝
羆の異常行動
これは後から知ったことですが、嫁と天塩岳新道コースに登った前日、天塩岳山頂付近で登山者が羆につきまとわれトレッキングポールを奪われるという異常行動に遭ったそうです。
その他にも、違う日ですがJs0nの知り合いが避難小屋~天塩岳山頂の間で羆とバッティングしてしまい睨み合いになったとの情報が入りました。
今回、嫁との山行でも超フレッシュな羆の糞を見つけた時に感じたのは
「登山者が多いから安心ではなくあくまでタイミング」なんだということでした。
登山をする以上、避けては通れない熊問題ですが、その為にも、しっかりとした知識と対応をとりたいものです。
※ 羆に対する知識・対策は過去の記事で書いています。
サイドバーの「関連記事」からどうぞ👉
いかがでしたか?天塩岳は羆も多く熊対策が必須の山ですがとても素晴らしい山です。
機会があれば道北エリア最高峰の天塩岳へ是非、登ってみて下さい!
#14「北海道の秘湯~糠平温泉郷の旅」
前回の「焼尻島ぶらり旅」は、生きる上で自分にとって何が大切なのか?を気づかせてくれる旅だった。
今回は、そんな「旅」をリレーしていこうと思います。
「旅」と「旅行」の違いについて
皆さんは、「旅」と「旅行」の違いを説明できるでしょうか?
今、ググろうとしませんでしたか?
その前に、少し自分で考えてみましょう。
検索すれば何でも情報が入る時代ですが、Js0nは調べる前に間違っていても良いから自分なりの答えを出してから検索するようにしています。
さぁ 「貴方の答えは見つかりましたか?」
正解は・・・この記事の最後にお話ししましょう。
糠平温泉郷
地名の由来は、アイヌ語で「ノカ・ピラ」(形のある崖)という意味があり、音更川の沿岸の崖に人の姿に似た岩があったことから命名されたと言われています。
大雪山国立公園内に位置する温泉街は「幻の百名山」と言われる「二ペソツ山」や「石狩岳」など東大雪の山々へのアクセスも容易な場所にある。
ホテルや旅館などが数軒立ち並ぶこじんまりとした温泉街で日帰り入浴もでき、「湯めぐり手形」を購入すると湯めぐりも楽しむことができる。
※コロナの影響で日帰り入浴ができない施設もあるので要確認☝。
周辺のスポット
温泉街から車で10分~15分程度の所に、北海道遺産に指定されているタウシュベツ橋梁があり冬は人造湖である糠平湖が厚い氷に覆われ湖面を歩いて近くまで行くことができる。また、「ワカサギ釣り」のスポットとしても人気の場所であり、凍った湖面の中に気泡ができる「アイスバブル」も見ることができます。
ダウシュベツ橋梁
※引用「糠平湖でアイスバブルを撮影してきた!2度目のアイスバブル。 – 一眼レフカメラ・写真初心者のカメラブログ」
👆これらを楽しむには1月~2月がおススメの時期です。
その他にも温泉街近くにスキー場やキャンプ場もある。
温泉街にある東大雪自然館は入場料無料ですが、東大雪の魅力を十二分に堪能できる有料級のお薦めスポットです!
お薦めの宿
そんな糠平温泉郷の中でも特にお薦めのお宿「山湖荘」さんをご紹介いたします。
糠平温泉街の中でも比較的小さめな建物で古い旅館という印象の外観で入り口には「洞窟風呂」の看板があり飲用温泉も備えれられています。
玄関を開けると古民家を上手に再利用していて古いながらもとても清潔感があります。
チェックインをする際に、館内で着る浴衣と帯を選ぶことができそれだけでも楽しい気分になれます。
お宿のご主人は、とても親切丁寧な接客で、この「おもてなしの心」が更に古民家風の宿を素敵に演出してくれます。正に接客の鏡のようなお方です。
総客室数8室と割と少なめな各部屋には囲炉裏があり少量ですが炭をくべることができます。
一応、小さなテレビ、フリーWi-Fiはありますがデジタルデトックスで静かな時間を楽しむ方が心身ともにリフレッシュできるかと思います。
Js0nは何度もリピートしているので夕食までの時間を部屋でのんびりと過ごすようになりましたが初めての方は、湯めぐりや徒歩数分で行くことの出来る東大雪自然館を楽しむと良いでしょう。
夕食・翌日の朝食は1階になり時間帯も選ぶことができます。
夕食は各テーブルにある囲炉裏でヤマメの串焼き、鹿肉(17品コースのみ)、十勝ハーブ牛、温泉豆腐、等を楽しめ、他にも地元で採れた食材をメインにとても上品で美味しい料理を楽しむことができます。
朝食は「ザ・日本の朝食」という感じのメニューですが鹿肉のシュウマイ、温泉卵、長芋などやはり地元の食材を上手に活かした優しい味付けのおかずに、おひつの米が残ることはないでしょう。
山湖荘さんの最大の楽しみは何といっても「貸切洞窟風呂」です☝
20時~翌朝6時までの間、宿泊者のみ利用可の貸し切り時間となり「入浴中・空いてます」の札を裏返して利用し、男湯・女湯関係なく入ることができます。
条件が揃えば朝陽が洞窟風呂の窓から入り込み神秘的な光景も見ることができるようですがJs0nはいつも泥酔するので見たことがありません(^-^;
貸切洞窟風呂を堪能した後は、囲炉裏を前に炭の燃える音を聞きながら美味しいお酒をいただき床に就いた。
また、山湖荘さんの隣には糠平温泉街唯一の商店「大和みやげ店」さんがあり、アイヌ関連の木彫りの人形などがお手頃な価格で販売されています。
北海道のお酒も豊富に取り揃えてあるので酒好きは必見です☝
年配のご夫婦で経営されており
「コロナの影響はどうですか?」と訪ねると
「かなり影響があってねぇ・・・でもこればっかりは仕方ないね」
と気丈に振る舞うご夫婦を見ていると、少しでも力になれればと日本酒・焼酎・ビールを大人買い。
👆「大人買いしたお酒たち」
とても喜んでくださりこちらまで温かい気持ちになれました♪
旦那さんがもう一つお薦めのお酒を紹介してくれましたがそれは敢えて買わずに
「また来年くるからそのお酒キープしておいてください!」と言うと、優しい笑顔で見送ってくれました。
~最後に~
冒頭の「旅」と「旅行」の違いについてですが
実際は違いはさほどなく
「旅行」は目的地に到達することに重きを置くことや計画性があるイメージに対し、「旅」は、目的地に到達するまでの過程を重視し、いきあたりばったり的なイメージとあくまでニュアンス的な違いで使い分けることが多いようです。
そう考えると今回のJs0nは、目的地が明確な「旅行」と定義するべきなのかもしれません。
ただ、帰りがけにふらっと立ち寄ったお土産屋のご夫婦との触れ合いで、コロナ禍で厳しい状況の中、元気でお店を続けていて欲しいという想いが込み上げ咄嗟に来年訪れるという約束をした自分がいました。
いきあたりばったりの約束・・・
「旅」はまだ終わっていない。
次回予告
次回は
「羆の楽園~天塩岳新道コース~」をお届けします。お楽しみに!
今回の「糠平温泉郷」を以前、動画にしているので見ていただけると嬉しいです。
#13 「〜焼尻島ぶらり旅~」
~プロローグ~
2020年9月上旬。
北海道は短い夏が終わりに近づき秋に向かって走り出そうとしていた。
とは言え、まだまだ力強い朝陽に残暑を感じながら目覚める。
今日は平日休み、しかも2連休。
嫁は仕事なので自由人だ。
天気予報は晴れだったので前日からテン泊登山をしようと準備をしていた。
山の天気も晴れだったのだが、風が強い予報だったのでベッドの中でスマホとにらめっこしながら最終判断を脳に促す。
「 たまには山じゃなく離島にいってみるか…」
前日、用意した登山用のザックに食料と酒、夢と希望を詰め込んで、折りたたみ自転車を車にぶっこんで目指すは「焼尻島」。
突如、閃いたこの判断は、自分の価値観を大きく変えてくれる旅となった。
~焼尻島について~
Js0nの住んでいる地域から約3時間で行くことのできる「焼尻島」。
羽幌フェリーターミナルからフェリーで1時間弱、高速船で40分程度で行くことができる。
一周、約12kmのこの島は、2019年現在で人口198人のとても静かな島だ。
焼尻島はサフォークも有名で潮風に当たって育つ牧草を食べて育つためミネラルが豊富で肉質が柔らかく臭みも少ないと言われている。
年間出荷数も少なく「幻の羊肉」と言われ都内の高級レストランなどにしか流通しない超プレミア級の羊肉だ。
その他には、オンコの原生林があったり、「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地となった場所もある。
~上陸~
オフシーズンだからなのか、平日のせいなのか、コロナのせいかは分からないがフェリーを利用する人はまばら(自分を含めて4人)で、観光客風な人はいなかった。
6年程前にJs0nは1度、焼尻島を訪れたことがある。
その時は、夏休み中の大学生や家族連れなど沢山の人たちが焼尻島に訪れ賑わっていた。
焼尻島に到着すると駐在さんが出迎えてくれる。
島への人の出入りをチェックするのが焼尻の駐在さんの日課であり最大の業務なんだろう…
折りたたみ自転車をフェリーから下ろしターミナル周辺を歩いてみる。
ターミナル隣には「島っこ食堂」があり、先述したサフォークを七輪で焼く「サフォークバーベキューセット(焼き野菜、ご飯付)」として2,500円で食べることができる。
※今回は島っこ食堂の営業時間外に到着、出発したため営業しているかは確認できなかった。
その他にも小さなお土産屋とレンタルサイクルの店もあるが共に営業はしていなかった。
~白浜野営場~
今日の宿泊地である「白浜野営場」へと向かう。
正直、思い付きでふらっと焼尻へキャンプをしにきたので大した下調べもせず不安があった。天候は大丈夫か?野営場は利用できるのか?野営場が利用者でいっぱいだったらどうするか?など、色々なことを考えていた。
だが、フェリーターミナルに着いたとたんそんな不安は無くなっていた。
6年前の光景とは全くの別世界だった・・・
ゆらゆらと筋を引く不思議な形の雲・・・最高の天気・・・だけどあの時と違うのは
「この島に一人だけ放り出されたような孤独感。」
それはある意味、この島を独り占めしているような優越感と無人島にいるような恐怖感が混在したような感覚だった。
フェリーターミナルから焼尻島のメインストリートへと向かう・・・とは言っても焼尻のメインストリートは民宿が2~3軒と郷土資料館、駐在所、商店が2軒くらいの街並みだ。
勿論、コンビニというものは無い。焼尻の商店は、言い方は悪いが「本当にやっているのか?」と思うような雰囲気でキャンプ用の食料調達は期待できない。
過去に訪れた時にそれが分かっていたため登山用に用意した食料と酒を自宅からそのまま持ってきた。
野営場へと向かう途中、フェリーターミナルから「ただ今のフェリーで入島された皆様へ、新型コロナウィルスにより・・・」と注意を促すアナウンスが流れる。
多分、よそ者は自分だけ・・・自分に向けられたアナウンスをしっかりと受け止めながら荷物の重さで何度もウィリーしそうになる自転車を漕ぎ続けた。
白浜野営場へ到着すると先客はおらず貸し切りだった。
この野営場は、海に直接階段で下りていける場所がある。
圧倒的絶景と開放感の中、とりあえずビールを飲む。
波と風の音以外の音は何も聞こえない。日常生活とは乖離したこの世界。
その違和感に何度も吸い込まれそうになり怖いくらいだった。
恐怖心を振り払うように人工的な音を立てながら特等席にテントを設営した。
〜サイクリング〜
「日没までには、まだ時間がある。さて、何をしようか?」
設営したテントに荷物を置き、自転車で島を一周してみる・・・
傾きはじめた夕陽を背に、誰もいない海岸線を潮風に当たりながら自転車を漕ぐ。
すぐ近くに見える島は「天売島」。
焼尻島とほぼ同じくらいの大きさだが人口が2017年現在で317人と焼尻と比べて多く観光スポットも多い為、焼尻より人気がある。
運がよければアザラシに会えるらしいので注意して探してはいたが結局、見つけることが出来なかった。
島の北側にくると、「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地の看板があるが正直、何処なのかあまりわからない。
漁港を過ぎ更に自転車を走らせると「観音崎展望台」がある。
先月に行った利尻島が遠くにうっすらと見えている。
しばらく、利尻旅行のことを回想し野営場へと戻った。
〜静かな時間〜
野営場に戻るともう一人自転車でこられているキャンパーさんがいた。
よそ者が自分だけじゃないことに少し嬉しくもあり残念でもあった。
キャンパーさんと軽く挨拶を交わし、お互いがお互いの時間を邪魔しないように気遣った。
ビールを飲みながらくつろいでいると夕陽が自転車の前輪に沈んでいく。何となく画になりそうでカメラを手に取ってみる。
「一人きりのこんな静かな時間はいつぶりだろうか…?」
そんな事を思っていると、大切な事を思い出す。
「やべっ!嫁に焼尻きてるって連絡してねーわ」
慌ててLINEを送る。
Js0n「すみません。ふらっと焼尻まできました・・・」
嫁「はっ!?ふらっと行くとろじゃないよね?」
Js0n「すみません(汗) 明日戻ります・・・」
嫁「ちょっと自由過ぎん?まぁ楽しんで」
と若干冷たいものの理解のある嫁で助かった。
日も暮れ、一人きりの宴を楽しんだ。
〜月光〜
夕陽が沈みランタンに火を灯す。暗くなると余計に波の音が大きく感じた
・・・と、思っていたら夕陽と入れ替わりで月明かりが辺りを照らしだす。
もう一人のキャンパーさんもこの時間を楽しんでいるようだ。
遠くに見える明かりは北海道本土の街明かり、灯台のサーチライトが規則正しく本土を照らす。
ランタンがいらないくらいの月光は、よそ者二人を歓迎するかのように優しく照らしてくれていた。
酒も底をつきテントの中に入る。
ほどよく疲れた身体に一人用の小さなテントの空間は、外界と遮断され秘密基地のような安堵感を感じる。
ゆっくりと過ぎる時間の中、太陽を追いかけるように月も西へと傾いてゆく。
明日の予定なんて考える思考能力もなく就寝についた・・・
~東雲~
静寂というものは、時に自然の音を強調させる。
さっきまで当たり前に受け止めていた波の音が非常に大きく感じ目が覚める。
テントから出てみると月明かりで隠れていた星が姿を現していた。
慌ててカメラを準備する。慣れない星空撮影で四苦八苦しながらファインダーを覗いていた。
次第に周囲が明るくなりはじめる。
朝陽が昇る方角に椅子を向け東雲(しののめ)に薄れゆく星を捕まえてみる。
~オンコ原生林~
早朝、自転車を走らせオンコの原生林へと向かう。
昨日、飲みすぎて喉が渇いていたため途中、数少ない自動販売機で飲み物を購入する。
焼尻島民はコーラが好きなのかどこの自販機もコーラが売り切れている。
アクエリアスとブラックコーヒーを購入し原生林へ到着。
散策路は整備されていて歩きやすい。
自転車も乗り入れることができるので歩行者に注意してサイクリングも良いだろう。
焼尻のオンコの木は、四方八方から吹く強い浜風や冬の積雪の影響で高く育つことができず、奇形な木が多い。
苦しそうに叫んでいるように見える木や、クルリと捻じれた木など1本1本表情が違うので見ていて全く飽きない。
ひと際目立つ巨木は焼尻の天狗に纏わる伝説がある。
約1時間ほどゆっくりと鑑賞しながら植物からパワーを充電させてもらった。
~地元の若者~
野営場へ戻るともう一人のキャンパーさんはテントを撤収している最中だった。
帰りのフェリーの時間も近づいていたのでテントを片付け身支度をする。
途中、地元の人しかわからないような道から学生風の男女5~6人がカメラを持って海辺へ向かっていった。
身支度を済ませフェリーまでの残り短い時間を名残惜しむように、この光景を目に焼き付ける。
海辺では若者たちが楽しそうにはしゃいでいた。
~フェリーターミナル~
フェリーの出発時間が近づき、フェリーターミナルへと向かう。
この島は、猫がとても多い。飼い猫なのか野良猫なのかはよくわからないが人間に対する警戒心は全くない。
フェリーの待ち時間の間、猫にカメラを向け時間を潰す。
フェリーの出発時間が近づくと野営場で一緒だったキャンパーさんも同じフェリーで帰るようでしばらく会話を楽しんだ。
また、再びこの島に来ることを自分自身に約束しフェリーに乗り込んだ。
~エピローグ~
この島は何もなく退屈な島だという人が多いが「何もない」「退屈」とは一体なんだろうか?
少なくとも野営場にいた若者たちの笑顔はこの環境を何もない、退屈だとは思っていないはず。
もしも、何もないと感じるのならば
『何もない』
ではなく
『見つけようとしていない』
だけなんだ。
約20時間この島に滞在してみて・・・
楽しみとは娯楽施設があるとか、豪華な食事やホテルとか、お金で何でも手に入るとかそんな物理的なことではなく
何もない中で、何を見つけ、感じ、喜び、感動し、泣き、笑えるか?なんだと感じた。
楽しみは常に『自分の心』の中にあるということを改めて気づかせてもらえた旅だった。