free_Json's blog

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#9 『ニングル』

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「ニングルについて」 

こんにちは、Js0nです。

皆さんは「ニングル」をご存じでしょうか?ニングルとは富良野の樹海に実在すると言われる小人です。森の中で生活するニングルは体長15センチほどで寿命270年、一生の間に子供を8人くらい産むと言われています。

一説では「コロポックルの末裔」とも言われていますがコロポックルは妖精なのに対しニングルはウッディな生活を営む小人という点で別の存在という見解が有力です。ただ、温厚な性格、人前に姿を見せないなどの共通点も多く真相は謎です。

 

倉本聰さんの本」

「ニングル」は倉本聰さんの本にもなっており、Js0nが倉本さんの作品の中で最も大好きな本です。

この本は倉本さん自らが登場し語りべとなり、倉本さんの友人「チャバ」を介して、ニングルである「チュチュ」との繋がりを描いた実話です。

 

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チュチュ

「ピエベツという村」

過去に富良野の山奥に「ピエベツ」という小さな村ができ開拓が進んでいた。この村に住んでいた少年がニングルと出逢い、開拓によって破壊されていく森のこと、自然が壊された後に待っている人間の行く末を聞いた。



「森は無口である 何も語らない」 

それを良いことに人は森を伐る。少年はニングルからの教えを村人に伝えようと「ピエベツ新聞」という自作の新聞を作り、村の人に配って回ったが奇人扱いされて段々と孤立していく。それでも書き続けた少年だが家族からの理解も得られず自殺してしまう。

 

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「森は重態」

開拓によって栄えたように見えたピエベツだったが森林伐採やダムの建設などで井戸水が枯れ最終的には人が住めない環境になってしまい、廃村となっていく。

 

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「チュチュとの出逢い」
時を戻して、倉本さんの友人「チャバ」がひょうんなことからニングルである「チュチュ」と出逢う。チャバは倉本さんにニングルの存在を打ち明ける。「知らない権利と放っておく義務」があるとチュチュは言う。「誰かが自分の悪口を言っていたなんて知らない方がいいし教えられたくもない。仮に自分が誰かの悪口を聞いても放っておけばいい」それが「知らない権利と放っておく義務」だ。その方がよっぽどうまくいく。半信半疑だった倉本さんだが徐々にニングルの存在を認めていく。

そんな中で倉本さんたちもピエベツの話にたどり着き色々と調べ回るようになる。

 

「ベツとナイ ・ ワッカとぺ」

「ベツ」とはアイヌ語で川床が浅く氾濫しやすい川と指す。それとは逆に「ナイ」とは川床が深く氾濫しにくい川のこと。

「ワッカ」はアイヌ語で綺麗な水を指す。「ぺ」とは汚れた水のことを意味する。

※諸説あり

 

「チュチュの変化」

「知らない権利と放っておく義務」を主張していたチュチュだったがチャバとの仲が親密になるにつれ電話やテレビという人間の発明品に触れていくようになり、ある日、テレビを見ていると目の前で人が殺されているのにレポーターは助けようとせずカメラに向かってリポートしている光景(豊田商事事件)をみて衝撃を受ける。

 チュチュは人間の恐ろしさに嫌悪すると同時に「もっと知りたい」という心の葛藤を覚えるようになる。

 

 「チュチュの恋」

そんなチュチュが倉本さんの劇団員の女性に恋をしていく。倉本さんも仲介役になりチュチュと倉本さんの信頼関係も増していくが、ニングルの心と人間の文化に触れ揺れ動くチュチュの行動は歪んだものになってしまう。

他のニングルの反対を怒りと狂気で振り切り、デートの為に女性をニングルの森へと招待したが皮肉にもその日に森の沢が氾濫してしまう。

チュチュの行動のせいでチュチュの家族やニングルの長の嫁が死んでしまう。

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「その後・・・」

月日が経ち、チュチュの安否がわからないまま音信不通になってしまった倉本さんはあるドライブインで舞茸採りの最中にニングルに出逢った人の話を耳にする。「クラモトサンゲンキカナ?」「フラノガモリ二ナル」と言っていたと。

 

 

ある日、電話が鳴った

電話の相手はチュチュだった・・・

自分のせいで沢山のニングルが亡くなってしまったこと、

これから長に連れられて遠い場所へいくことになったこと、

人間界であまりの情報量に気持ちがついていかず心が壊れてしまったこと、

その治療の為にトリカブトの根を薬として飲まされていること、

薬のせいで富良野で過ごした大切な記憶を失いつつあること、

この電話でお別れになってしまうこと、

 

そして最後に「モウイチド フラノヲ モリニカエスタメニ タクサンノ タネヲフラノニマクナ」と・・・

 

※チュチュ・・・アイヌ語で『芽』を意味する。

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ニングルを通して想うこと

いかがでしたか?冒頭、ニングルは実在すると書きましたがJs0nは倉本さんの本で読んだだけであり実際は、フィクション(物語)として受け止めるべきものなのかもしれません。ただ、この本を読み終えた時、「ニングルは絶対いる!」と誰もがそう思いたくなるはずです。

人間は高度な知能を持ったが故に人を中心とした利己主義に走り、ゆっくりと成長していく樹々の時間の流れをないがしろにし「同等の生」であることを忘れ、いとも簡単に伐採してしまいます。その結果、神様が創った完璧なプログラム(自然)を壊していることに人は気づいていないのです。

この本の中で、原始ヶ原へ野生の馬を探しにいき沢を通りかかった男性が

ソノナハ ワッカ ペデナイジャ シシキコイタラ ベタルッゾ

という唄声をが聞こえたという一文があります。先ほどの「ベツとナイ ・ ワッカとぺ」でも少し触れましたがこの唄の意味は「ソノ(その)ナハ(流れは)ワッカ (綺麗な水)ペデナイジャ(汚れた水ではないぞ) シシキ(小便) コイタラ(したら) ベタルッゾ(ぶたれるぞ」なります。

きっと人間に対するニングルの警告だったのでしょうね。

 

「知らない権利と放っておく義務」

今はインターネットでどんなことでも知ることが出来る時代です。そして現代の私たちは「知る権利」を主張して生きています。「個人の日常や秘密、隠したい過去」にまで土足で踏み込んでしまうことが出来る権利です。この怖さを一体、どれだけの人が理解しているでしょうか?そして間違った情報や過激な情報まで吸収して吸収した情報量に心が追いつかなくなってはいないでしょうか?

ニングルは人間を「化け物」と表現しています。そして恐竜が何故滅びたか?という問いかけをし、大きくなりすぎたからと答えています。今の私たちはどうでしょうか?インターネットが普及しAI・ビッグデータ・IoT等、加速度的な技術的進化を続けています。その先にあるのは果たして進化でしょうか?滅亡でしょうか?この本を読むとそんなこれから先の未来まで考えさせられます。

 

最後に

このお話の最後には、遠くへ行ってしまい姿を消してしまった、ニングルを一度だけ目撃したという情報が書かれています。その場所は「トムラウシ山」。山好きにはたまらない結末です。登山をする者としてこの本は登山中の行動まで激変させてくれるものでした。是非、登山をされる方にもおススメします!

 またより多くの方々に、この本を読んでいただき今後の自然との向き合い方について考えるきっかけとなってほしいと願わずにはいられません。

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追記 Js0nは毎年、富良野へ「ニングル探しの旅」をしにいってます。そして今年はニングルを探しにトムラウシ山にも行く予定です。「そんなのいるわけない」って思う方もいるでしょう。だけど大人気なくそんなことを信じている方が人生が豊かになるような気がします。この本をフィクションとするかノンフィクションとするかは読み手次第ではないでしょうか?

最後まで読んでいただき有難うございました。